ご遺族を代表して甥子さん(先生のお姉さまの息子さん)の今中隆介さんからコメントをいただいておりますので掲載致します。
また、先日たまたま来京していた先生のお姉さまと(隆介さんと私たちの仲間とで)ご一緒する機会に恵まれました。私は初対面でしたが、既知の間柄のように先生のお話が弾み、あっという間に時間がたってしまいました。
いずれ詳細もお知らせいたします。
(たかはし@梅丘)
私の叔父−あすなひろしの追悼サイトにおいでいただきありがとうございます。遺族を代表してお礼を申し上げます。
さて、甥から叔父の思い出−人との一端を現すようなエピソードを申し上げます。今後とも、本サイトに気軽に遊びにおいでください。
確か美術大学の大学院生の頃、広島駅のそばに移り住んだ高行おじちゃん−あすなひろし−のアパートを友人と訪れたことがあった。
そこには私が高校時代、葉山のアトリエに遊びにいったときに、すでに十数年は使っているであろうオーディオアンプやテープデッキ、大口径の巨大なスピーカー(たしかJBLだったか?)、それに発売当初は30万はしたかであろうVHSのビデオデッキがおじちゃんと共に移り住んでいた。その極めて几帳面に整理された部屋で世間話をしながら、何気なく「おじちゃん長もちしとるね!」と問いかけると、そこにあるビデオデッキを指差して「こないだ、それ直すのに20万円かかったんよ」。
ビデオデッキがすでに3〜4万円で買える時代だった。
あすなひろしとはそういう人物である。
私は、おじちゃんの影響もありデザインの仕事に就いている。たぶん彼がいなければ違う世界に進んでいただろう。
社会が消費を繰り返すことで成り立ってきたことで、モノは氾濫しそれらはすべてゴミとなって今の社会を圧迫している。あすなひろしはみんなが感じながら目をつむっていたことを、あたりまえのように行動していた。
その存在は、私のモノ創りに対する心の核として生きている。