そもそも、私がこんなことをするきっかけとなったのが
SHOさんの掲示板でした。文春文庫の少女マンガアンソロジーのインタビューをきっかけに80年代後半以降のあすな氏の消息が気にかかり、情報を探し回りネット検索でぶちあたったのがSHOさんの掲示板でした。そこには、私よりはるかに熱い「あすな魂」(©ポンピドーさん)を持った皆さんが集っていました。その中で、あすな作品を発掘しようと自費出版を試みたポンピドーさんと賛同した仲間がいました。その仲間からコメントをもらっています。
また、葉山時代のお友達のぱとれいばさんのご連絡で、私は先生に最初で最後の面会を果たすことができました。皆様からコメントを頂いておりますのでここに公開致します。
また、ご投稿も歓迎しておりますので連絡は本サイトwebmasterまで、もしくは掲示板によろしくお願い致します。
(たかはし@梅丘)
のっこさんは下に書かれている通り、先生とずっとお手紙・年賀状等のやり取りをなさっていたそうです。(差し支えない程度で)画像をアップしていただけるとのこと。
【親不孝通り】
あれは17歳の秋、初めて、漫画家にファンレターなるものを出した。
それが、あすなひろし氏だった。
青春の屈折のまっただ中にいた私にとって、人生の哀愁に満ちた「哀しい人々」との出会いは衝撃的ですらあった。当時高校生だった私はご多分に漏れず、父親を軽蔑していた。父親の理不尽さや粗暴さや強引さがいやだった。「親不孝通り」に出てくる主人公が父に似ていた。「大人の哀しみ」など考えたこともなかった私に、それを気づかせさせてくれた。
勝手に生きてきたようにみえる「男」の親や親戚とのずれ、愛情の裏返し、意地、そういった、人間関係の空しさと切なさが、一気に私の心の中に入ってきて、自我形成の感性の部分の大きな存在となった。そのことによって、自分の環境への嫌悪がいやされ、「父」を見る目が変わったのだった。すべてを受け入れ、肯定できる力がついたのだ。「哀しい人々」のおかげで。
その後、父と商店街を腕を組んで歩きながら、自然に話せるようになった。父の人生を感じられるようになった。そんな父のことをファンレターに書いた。すると、あすな氏はそのことを自分とだぶらせて、返事をくださった。あたたかい手紙だった。涙が出た。
あすな氏の作品は慈愛に満ちている。そして、切なさに満ちている。その世界に漂う空気が私を深く包み、染みる。不惑を前にして、再び読み返しても、同じ、いやもっと深いせつなさがせまる。そんな漫画が他にあるだろうか。面白い、感動した、愉快、そういった漫画はうんとある。だが、読者が年を経てなお、いっそう深く心に迫ってくるそんな世界を描けた作家はあすなひろし氏以外にはいない。少なくとも私にとっては。
下記の方々は交渉中です(よろしくお願いいたします)。
【その男】
その男とは海岸で出逢った。
当時ぼくは大学生で有り余る時間を海上や海岸で過ごしていた。
その男は毎日大型犬を連れて葉山の海岸に散歩に来ていた。狭い海岸で、常連達は顔見知りだった。散歩する人もそうだ。背が高く角刈りでガテン系な体格のその男は始め自営業だと名乗った。しばらくして「実は漫画家だ」と自己紹介しなおした。そして去年葉山に引っ越して来たと。
そのうちぼく達はその男の家に遊びに行くようになった。なんと家から数分の所だ。気心が知れると毎日遊びにいった。
ご多分にもれず当時二十歳の僕は屈折していて社会やまわりの環境、境遇に不満だけを持っていた。その中でのたうちまわっていた僕は周りにあまり居ない自由業を生業とするその男と色々な話をした。
僕にとって始めて大人として接してくれた男だった。そしてその会話の中で大人として成長していった。思えばその男にとって(も僕にとっても)純粋に利害関係なしの友人だった。だから楽しかった。確かにその男を「先生」と呼んではいたが……
学生生活が終り4月から社会人になった年の9月にその男は葉山を去り、故郷の東広島市に帰った。引越し間際に「もらってくれるか」と電話があり幾つかの品を預かった。主にレコードだった。その中に当時その男が好んで聞いていた三好鉄生の「涙をふいて」と、もんたよしのりの「ダンシングオールナイト」(その男はB面の「ジャーニー」も好きだった)もあった。半月ほどしてはがきが来たが、それっきりになった。出張で広島に行くことはたびたびあったが東広島には行く機会はなかった。
昨年の暮れにケータイを持ったと聞き、さっそくメールを送った。そして病気で入院していることを知った。ヤバそうな文面だったので正月あけにデジカメを抱えて広島に飛んだ。15年振りの再会だった。
僕はその男をすぐに見つけたが彼は僕が誰だかわからなかった。
「出張で広島に来たのでついでにお見舞いに来ました」
と言った。僕の嘘に気がつきながらも
「そうか。正月早々仕事で大変だな」
と言った。「先生と出会った頃の先生の歳になりましたよ」
「ははは、もうそんなか。しかし立派になったな」男は小僧の僕しか知らない。当たり前だった。
帰りの飛行機の中で僕は考えた。
そして男の現状を知らせるべくPCの前に座り検索した。あすなひろしサイトが必ずどこかにあると確信していた……