追悼サイト活動内容

サイト立ち上げにあたって

あすな先生が亡くなって早いもので半年近くが経ちます。

遺言で亡くなったことを伏せられていたため、当初、訃報は私たち数人のファンのみが受け取り、その後水面に落とした一滴の波紋のように静かに、しかし確実に悲しみと喪失感を持って受け取られています。

私たちは、あすなひろしの漫画が好きな仲間の集うSHOさんの掲示板で、漫画界と離れていた彼と何がしかの交流を持ち、(諸々の事情で中座していましたが)彼の漫画を人々に伝えようと試みていました。私たち仲間は、亡くなる数ヶ月前まで本名の矢野高行ではなく漫画家あすなひろしと接した数少ない人間でしたし、彼の豊穣で瑞々しい作品をこれほどまでに愛しているのは私たちだけだと思いこんでいました。

しかし、Web現代の追悼の言葉(特にみなもと先生を読むまで、正直なところ、ここまで皆さんに愛され、ここまで巨大かつ唯一無二の作品世界を持った方とは思ってもいませんでした。

先生の巨大さを思い、とてつもない空虚感が襲いました。そして今何をすべきか様々考えました。先生の膨大な仕事の再版という仕事は素人の手に余ります。ただ、それに向けての働きかけはするべきだと考えました。

それと、Shoさんの掲示板を通しての楽しいやり取りや、先生が病に倒れてからの先生を知る人たちとの交流から、あすなひろしと彼の作品を偲び、忘れないための足がかり程度はできないだろうかと考えました。Shoさん掲示板や2ちゃんねる「あすなひろしスレッド」(残念ながら削除済みでログ倉庫未格納)でも、その思いを語る方は数多くいらっしゃいます。先生の葉山時代からのお友達からは「墓参団でも組もうか。広島まで」とのメールもいただきました。

ここに、ご遺族の方の許可を得て、彼と彼の作品世界への思いを集めたサイトを開きます。

作品リストや掲示板、リンク集のみの簡単なサイトですが、あすなひろしを偲び彼の作品を伝えて行く一つの足がかりになればと思います。ツトム、ヨシベエたちと多感な時期を過ごした方、少女誌の流麗な線とストーリーに見せられた方、宮澤賢治作品等の緻密さを増した画面に息を飲んだ方、そして人間あすなひろしに魅せられた方、年代・立場等でいろいろな方がいらっしゃると思いますが、彼と彼の作品世界への思いをメール・掲示板でお寄せ下さい。随時更新して行きます。

また、私はHPの運営について手を挙げましたがなにぶんにも素人なので、どうすれば商業出版での再版につながるかは見当もつきません。

ただ、相当量の原画・掲載誌が所在不明のようですので、追悼サイトという位置付けに加えて、原画・掲載誌等の発掘呼びかけと所有者との連絡および情報収集などをもうひとつの目的として進めるつもりです。これはご遺族の方々から作業の委託を受け、ご提供いただいた原画および掲載誌等についてはご遺族の方々が責任を持って管理致します。

今だ瑞々しさを失わず、唯一無二の輝きの彼の作品を忘れずに後世に伝えるためのささやかな試みです。

開設宣言してからずいぶん時間が経ってしまいましたが、皆さんの参加をお待ちしております。

2001年11月 あすなひろし認定「タマ」を撫でつつ……

あすなひろし公認『タマ』(本名ないとうさん)

哀愁漂う後ろ姿のタマ 渋いご尊顔のタマ

あすな先生の見舞いに作品をスキャンしたデータを持っていったのですが、ついでに「タマみたいでしょう」とお見せしたうちのネコです。先生も「ホントこいつタマだなあ」とニコニコとおっしゃってました。その中でも「これがいいな」とお気に入りの一枚です。

「青い空」の、のど自慢の話(第2巻収録)のような画ですなあ。

たかはし@梅丘(webmaster)

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