彼を、語る…

エッセイ〜プロの方々より〜

musician's musicianという言葉があります。世界的なミリオンヒットを飛ばすミュージシャンが、何分の1、何十分の1かのセールスしか達成しないけど、誰にも真似のできない音楽を作り、熱狂的なファンを持つ。そして、ミュージシャンが好んで聴き尊敬するミュージシャン。(webmasterの好きな所では、10CC(ゴドリー&クレーム)、トッド・ラングレンスパークス。ちょっと守備範囲外でFrank Zappaとか)

セールスの話はさておき、あすなひろしはまさにmusician's musician、プロが尊敬する漫画家だったように思います。そのプロの方々に思い出を語っていただきます。

(たかはし@梅丘)

みなもと太郎先生(漫画家)

当初掲載していた講談社E-Manga掲載の追悼文を載せていたのですが、その中の

『白い霧の物語』という『那羅原伝説(ならわらでんせつ)』の外伝を知っている人がどれだけいるだろうか?(『那羅原伝説』の本伝は未発表。したがって僕も知らない)この作品をはじめとする、1965年前後の珠玉の短編を知らなければ、彼が少女マンガ界をどれだけ底上げしてくれたか、語ることは不可能だ。同じ頃、青年誌に発表された『獣の熱い息』という作品をもし読んでいないのなら、あなたは「さいとう劇画」でも「アメリカンコミック」でもない、華麗なるハードボイルド・コミックの世界を知らないことになる。『嵐が丘』を読んでいないのなら、あなたは「マンガ化された文学」の最高峰を知らないことになる。『オーケストラの少女』『チップス先生さようなら』を読んでいないのなら、あなたは──。ああ、キリが無い。ざっと数えあげても百を越える1960年代のあすな作品が、まったく単行本化されていないのだ。

がどんなものなのか、あすなひろしを巡って1月19日に私とポンピドーさんでみなもと先生にお会いしてきました。多忙を極める中、「(あすなひろしのことなら)ぜひお目にかかりたかったから」と時間を割いていただきました。

(カメラのトラブルでこれしか取れておりませんが、)先生所蔵の紙ファイル二十数冊にわたるあすなひろしコレクションに圧倒されてしまいました。

話は、私が未見だった1960年代の少女漫画の世界におけるあすなひろしの位置付け、役割からあすなひろしの人柄等をこれまた熱く熱く語られておりました。

詳細は、こちらからどうぞ!

(たかはし@梅丘)

北上次郎さん(書評家)

北上さんがKADOKAWAミステリのエッセイに、漫画に狂った時期のこと、あすな作品との出会いをほんの一行だけ書いてた(Webarchive)のをふっと思い出しました。ダメモトと思い原稿依頼のメールを出したところ、思わぬOKのお返事。ありがとうございました>北上様。

なお、当サイト掲載分はイントロでして、続きは1月15日頃発売予定のKADOKAWAミステリ誌をご覧下さい。また、KADOKAWAミステリサイトも同日に同時更新されますので待ちきれぬ向きにはそちらもどうぞ(Webarchive)。

私が「あすなひろし」に夢中になったきっかけは、少女漫画雑誌に載っていた「ビリー・タムタムは空へ!」という中篇である。甲府に大学のサークル仲間がいて、彼の家に遊びにいき、そこで怠惰な数日を過ごした夏休みのことだ。大学四年か五年のときだ。その家にどうして少女漫画雑誌が置いてあったのか、いまでもわからない。友人には妹はいなかったし、彼も漫画の読者ではなかったはずだ。まあ、それはどうでもいい。何の目的もなく行っただけなので、友人の家ですることもなく、彼もどこかに出かけて一人で過ごしていた昼間、ふとその少女漫画雑誌が目に飛び込んできたのである。

何気なく、その分厚い雑誌を読んでいったら、「ビリー・タムタムは空へ!」にぶち当たった。今から30年以上も前のことであるから、ストーリーはうろ覚えだ。それから10年間は会う人ごとに興奮しながらこの漫画の話をしたもので、そのころは克明に細部まで記憶していたのだが、今となってはディテールが思い出せない。それが悔しい。「あすなひろし追悼公式サイト」の作品リストで調べてみると、「ビリー・タムタムは空へ!」が掲載されたのは「りぼんコミック」の1969年8月号だった。

何かを探して何年も旅している男がいる。で、この街は以前も来たことがあると気がつく。もしかすると同じところをぐるぐる廻っていただけかもしれないと気がつくのだ。オレの旅は何だったのだろうと考える男。ここまではストーリーにほぼ間違いないと自信があるのだが、ビリー・タムタムが馬に乗って天を駆けていくラストと、これがどうつながるのか、そのあたりの記憶が曖昧だ。そういう細かな記憶が欠落しているものの、夢と挫折と希望を鮮やかに描いた漫画だったことは間違いない。だから、それから夢中になったのである。

少年ジャンプで「ぼくのとうちゃん」シリーズが始まるのがその2年後で、私があすなひろし氏に会いに行ったのはそれからまた数年後だ。そうなのである。私はあすなひろし氏と会ったことがあるのだ。

この続きは、長くなりそうなので、KADOKAWAミステリの2月号に書く。出来れば、そちらをご覧いただきたい。

交渉予定の方々

下記の方々に交渉の予定です。

  • 水野英子氏(漫画家)
  • 丸山昭氏(元・少女クラブ編集長)
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